『やけっぱちのマリア』手塚 治虫

初のマンガ紹介ですね。
手塚さんだからマンガよりは漫画と書いた方がいいのかな。
僕があと10歳くらい若かったら、
この作品は人生において貴重な漫画体験になったかもしれない。
なお作家島田雅彦に『やけっぱちのアリス』ってのがあったように
記憶してるんだけど、パロディかなぁ。
未読なんで読んでみなきゃあわからないな。

ものすごーく略して簡単なマンガ論を語ろう。
僕はマンガ一般をめちゃくちゃ読んでいるわけじゃないけど、
手塚治虫、つげ義春、白土三平らは表現者として一流だと思っている。
マンガ文化としての彼らの後継者は著名な人物を含めてかなりいるが
長くなるから省略する。
彼らがいたからこそ今のマンガの発展があり、
マンガ愛読者がただのばかやオタクではなく、
いっぱしの読書人気取りをできるようになったと思っている。
昔はこんな言葉があった。
「マンガは文化だとしても恥の文化だ」

ところで実際現在のマンガはよく出来ている。
マンガばかり読んでいるとバカになるとはあまり言われない。
読んでバカになるマンガもたくさんあるとは思うけど、
相対的に減っているのではないか。
読んでいる人の実感としても何も読んでいないよりは遥かに良い、
だと考えられる。
僕もこれに賛成だ。

だがしかし、モノは使いようだ。
現在マンガが立派な文化として認知され称揚されていることは
「教育熱心」な親、教師によって間違って使用されるかもしれない。
「ぷち教養」の時流、物事の価値が平板化している。
マンガを読むのも、映画を観るのも立派な教養になるのだ。
無論、僕もこれらを絶対化せずに一手段とするならば
教養の存続に異論はない。

だが新書などの啓蒙書や学術書が読めないから
分かりやすいマンガを尊崇する傾向も見られる。
皆で「深い」「深い」と褒め称える。

もしも上からの押し付けで読むことになると悲劇だ。
教育の道具としてみんなで手塚治虫を読みましょうなんてことが
起きないか心配だ。
自主的に読む行為がこのまま損なわれないことを切に願う。

念のため付け加えると
僕は活字の絶対化とマンガの蔑視をしているわけではない。
そのことは汲んでいただきたい。
マンガのことも好きだからこそ
恣意的に利用されるのを危惧しているだけだ。
マンガはマンガの良いところを伸ばして繁栄して欲しい。

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