緑に赤

2014年9月9日 日記・雑記
キャベツ炒めを作るときに
葉の裏に赤い回虫みたいな虫を見つけて
取り除いた。
こんなことで生の実感を味わったりもする。

実家の畑以外じゃ初めてだった。
東京に慣れてきたんだな。
まあいいやってことで日々が流れていく。
些細なまあいいやは増えていって構わない。

瞬間的に激しく喜怒哀楽を示しつつも
まあいいやって思っていたい。

6時前

2014年2月4日 日記・雑記
奴が巨大な「ぬりかべ」のように形態を変えて
ドスンと俺の前に立ちふさがり
しかし何をするでもなく見下ろしていた。

夢から覚めて起き上がったら
胸の鼓動が激しかった。

何の象徴として現れたのか俺は分かっているけれど。

まあ、いいや。

ボタン

2014年1月27日 日記・雑記
脱いでいたスーツを車のドアに挟んでしまい
袖口のボタンが真っ二つに割れた。
2、3年に一回はやる。

仕立て屋やクリーニング店で修繕してもらうこともあるけれど
どれくらいぶりなのか自分で替えのボタンを用意して
それを取り付けてみた。

玉結び、玉止め。
何も考えなくても手が動いて行うことができた。
幼き頃の知識が生きて働いた。
ただそれだけのことなのにうれしかった。

ちょっとしたヒントを得た気がした。
久しぶりに開いたというのに書きたいことがないというのも問題だ。

だから無理やり書く。
織田作之助の文庫本を何カ月も持ち歩いている。
読み始めたのは8月の盆休み、成田空港着陸30分前からだ。
だのにひと月に1回開いて20ページ読んで
次に開くときは10ページ戻ってから読み始める。
何をしたいのか分らないような読み方をしている。

今日気が向いたので「アド・バルーン」という1篇を読んだ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/42688_45503.html
(青空文庫の引用)

思いのほかによくてびっくりした。
大阪の情緒がこれでもかこれでもかと伝わってきて
それはまあ別にどうでもいいっちゃいいけど
語り口と終わり方が(自分にとっての織田作にしては)よかった。
本当に頭が腐るんじゃないのかってくらいに
ビジネス文書とそれにまつわる文章しか読んでいないから
こういった血の通った文章が読めるって幸せに感じた。

そしてよせばいいのについつい自身の10年前の大阪を思い出している。
カシスビア飲みながら書く。

キッチンでは明日に備えて
サラダと根菜たっぷりの
コンソメスープ作りが進んでいる。

仕事百パーセント、家事百パーセントって
ぼくにはとてもこなせない。
両方とも全身全霊になると死にそうだ。
ちょっと前までは仕事だけでも
過労死レベルは働いているつもりだった。

一人暮らしも短くはなかったから
自分のこと(一人分)をこなしてきちんと生活するってことはできなくもない。

優先順位をつけたり手抜きポイントを探したり
そういうのが苦手なんだな、きっと。
でもそれをこなしている人も中には
いるんだろうから能力が低いのかもしれない。
生活力を高めてこなかったツケが回ってきたのかな。

睡眠時間を「ナポレオン」にしてもこなせないんだから要領が悪い。
それで結局体をダメにして寝込んだり
仕事に支障が出てしまったり
何とも価値のない人生まっしぐらだ。

広島カープの前田智徳選手が引退会見をした。
大ファンだったぼくは10分くらい
理性的にお疲れ様でしたと思ったんだけど
20年以上にわたっての活躍や挫折が思い出されると
涙がこぼれてしまった。
生きていて恥ずかしい気持ちになり

過去の自分を確かめに来たら

また別の意味で恥ずかしい奴だと思った。

memo

2010年2月23日 日記・雑記
ちょっと酔って戯言を吐いたこと。

大いなる反省。

自称「苦労人なので懐が広い」人にこき下ろされちゃった。

あなたは大したことない大したことないって頭ごなしだったから

ちょっと事情を話してしまって、それが大間違いのもと。

自戒を込めてメモ。

あの子

2009年9月28日 日記・雑記
思い焦がれているあの子が振り向いてくれないから
寂しさを埋めるためにほかの女の子たちと付き合ってきた。
妻といっしょになった。

今になってあの子が寂しさを見せても
自分は何の直接的な力も働かせることができない。

無力。

なのに会う理由があるだけでうれしくなってしまう。
でもほかの男を好くというのはそれほど楽しいことではない。
だがしかしそんなことがどうでもいいくらいに
あの子といっしょに時間を過ごせることが幸福に感じる。

私は基本的に間違っている。

愛憎

2009年9月22日 日記・雑記
近親者は好きじゃない。
その分副作用が強くなったのだろうか。
とても眠い。

そして退屈。
仕事と家事しかしていない。

行為した事象それよりも意志の方向性
目的意識なんかが大事なんだと思った。







いつものようにコンビニの駐車場で
おにぎり1つとミネラルウォーター1本を持って
わびしい1人ランチをしていたら
でっかくて汚いワゴン車がどかっと駐車してきて
粗末な布切れを巻きつけた大男がアラビアンな絨毯を小脇に抱えて
木陰へと小走りするのを見守るかっこうになった。
大男が方角を気にしてペルシャ絨毯を広げ
14時17分から23分までひたひたと礼拝をしていた。
東京の街中なら珍しくもないけれど
郊外の大型トラックがばんばん行きかう国道沿いでは初めて見る光景だった。
彼も気にしちゃいないけど誰も気にしちゃいない。
国道とセブンイレブンとムスリム。
なかなか美しかった。

石川遼くんの住む町では収穫の終わった麦畑の焼畑をしているところを見た。

野田市の江戸川土手で日光を浴びてすくすく育った大いなる雑草を見た。

光の中を進む首都高から黒い隅田川も見た。

浅草のアサヒビールも見たし、東京タワーも見た。

夜遅くに会社に寄ってみると
きれいな後輩の子に大粒のぶどうを10粒くらいもらった。

いろいろ美しいものを見たい。
病院に行ったら処方される薬の量が倍増した。
医者に気遣われるなんてクソおもしろくもない。



生い立ちから現在までのプロフィールを作っていた。
20歳までの私の人生は本当に価値がない。
どうフォローをしていいのか分からないくらいに。
自己弁護のしようもない。

久しぶりに自らを振り返ってみると
生きる意味だとか価値ある人生だとか
考え直してしまって
私は方向を見失っていることを実感したのだった。

そういえばかつて私は歴史を専攻していたのだったな。
一人暮らしだった11年半にピリオドを打ち、
今では帰宅すると迎えてくれる人がいる。

普通だったら楽しくて仕方ないですよね。
医者さえそう言う。

でも私は家路につくことが、
脳を重たくし嘔気を催すほどの苦痛になっている。

もうやりたいことが思い浮かばないほどに
生に消極的だから、
仕事に熱を上げることにしている。
仕事しかない。

我慢

2009年6月2日 日記・雑記
この半年くらい死にたいなと思うことがある。

この1か月くらいはときどき。

この1週間は毎日。

仕事をしているときがいちばん楽。

望ましい自己像を演じ続ければよくて、邪魔は入らないから。

そんな仕事は好調だ。

仕事が終わって家路につくときがちょっとたいへんだ。

鬱々とした思いが立ち込め始め

電車では呼吸困難になって脂汗と嘔気を我慢し

車では自慢の運転技術も影をひそめこれ以上運転していると

気が狂ってしまう、もう何も思考できない、体がいうことを効かない

と、単独事故どころか人を轢いてしまわないか本当に心配になる。


私は我慢している。

誰にも愚痴をこぼさない。

考えてみると必要のない我慢なのでしょう。

私は人を信用していない。

とても人当たりがよいと評判、でも心の奥底は冷たいのでしょう。


私は弱いから死にたいと思ってしまう。

小学生のときからずっと。

でも私は強くなったから死なないと思う。
ご無沙汰をしております。

何度か復帰しようかと思い立ったんだけど、

何か踏ん切りがつかずに日々を過ごしていました。



気が向いたら、また書くかもしれません。

とりあえず、メッセージ用に更新しました。
わりと最近の話しなのだけど、しばらくぶりに女性と付き合うことになった。
約1年ぶりだろうか。
その1年間に何もなかったのかというといろいろあった。
でもそれはまた別の機会に語るとして、今回は彼女との関係について語ろう。

その前にぼくのことについて少し簡単に話そう。
彼女いない歴イコール年齢なんていう男でもなく、
恐ろしく多くのお付き合いをしてきた男でもなく、
風俗に足しげく通うような男でもなく、
ごくごく普通に十数人くらいの女の子と寝てきた男だ。
どこにでもいるような平均的日本男子だと思う。

先月か先々月だったろうか、
墨田区の飲み屋の座敷でぼくはいい加減な告白をした。
「付き合って」って。
「会いたい」「好きだと思う」と、
いい加減な言葉で好意を示してきたのだけど、
「付き合う」という関係性に言及するのは初めてだった。
好意を伝えることへの恐怖はなくて、
でも自分の気持ちに確信が持てないから、
責任が伴う付き合いをしたくなかったのだと思う。

「付き合って」
「うーん」
「ま、付き合うっていっても何だかよく分からないけどね」
「付き合うってなんだろうね」

「付き合う」とは何だろうか、
どういう概念だろうかという究明が目的ではなく、
彼女を口説き落とすのが目的なわけだから、その話題を深めることもない。

付き合うと答えたところで何が変わるわけでもないけど、
その口約束であなたが安心するのなら、
そういう関係も悪くはないね。
そのようなことを彼女は言った。
「じゃあ、付き合うということで」と彼女。
「本当にいいの?」
「じゃあやめる?」
「嫌だ」
ありきたりのやりとりがあった。
ぼくよりも彼女のほうが大人なのだ。

恋愛において短期決戦を得意とするぼくにとって
彼女を口説き落とすのは骨が折れた。
その経緯はおいおい書いていくにして、
彼女はちょっと特殊な女の子なのだ。
ぼくが彼女を説明するときにいちばんしっくりくるのは、
村上春樹の小説に登場しそうだということ。
それって褒め言葉でもないよねと言われるけれど、
ぼくにとっては結構ぐっとくること。

奥手でもないぼくが、まだ握手しかしていなくて、
自分でおかしな関係だなって思う。
凍てついた氷をゆっくりと溶かすように温めたい。

まだ暑い夏の日に、北風と太陽の話しを彼女にしたっけ。
ぼくは太陽を選ぶからね。
そう宣言したんだった。

どこにでもありふれた物語。
でもそういった物語をよりどころにぼくたちは生きていくのだろう。

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リンクを大幅に変更させていただきました。
今までお世話になりました。
あなたの悩み事は…、
会社のことや恋愛のことでしょう?

そういうことを言うならば、みんなそんなもんでしょうと答えました。

実際に仕事内容や職種、転職まで考えていないわけではないけれど、
不満をたらたらと言い始めたら、どこまででも続きそうだし、
まずは今できることを着々とこなしていくことかなと思います。

大和撫子

2007年7月24日 日記・雑記
二日酔い寸前の飲み方をしていても、一晩ぐっすりと眠ると回復するものだ。
飲みたくもない酒―というのは、嫌いな先輩のバカ話とご機嫌とりに加えて、
きつい酒の強要なのだけど、
時間と金と体力のムダ使いで、極めて不愉快だ。

今晩は池袋の和風の飲み屋でデートだった。
彼女は鮮やかな茶色が黒髪に戻していた。
大和撫子だねと言っておいた。
彼女が美人かどうかはさておき、
僕は彼女がそこそこはいけるだろうと思っている。
少なくとも火曜日20時、ぼくのいる店内ではいちばん美しい女の子だった。
お休み。
もうこの汚すぎる部屋に我慢ならんというほどでもないけど、
汚すぎる部屋という事実は消しがたいので掃除を開始した。
部屋の掃除をしていると、いろいろな思い出が掘り起こされる。

僕の部屋に多いのは、関西のにおい。
生まれの広島よりも京都、大阪にまつわるものが多い。

大阪で通っていた自動車教習所は親切だ。
いまだに気遣いの書類を送ってくれる。
褒めるブログでなら明かしてもいいだろう。
ネヤガワドライビングスクール、ここはかなりのオススメだ。
4か所教習所に通った僕が褒めるのだから、まあまあのはず。

大学のときの写真が出てくると、結構ショックを受ける。
俺、結構かっこよかったんじゃんって。

大学生のときの自分の文章が出てくると恥ずかしい。
恥がないあまりに書けた文章の数々。
赤面しかける。
ダイアリーノートの初期がそうであるように。
しかしそれは消さない。生きてきた記録だから
恥がないいっぽうでなかなか勉強熱心ではあったなとは思う。
今は社会勉強ばかりで学術とかは疎い。それにしても大学に関係する書類って多い。

こっちに来てからのものも処分する。
まだ買って2ヶ月少しの電動シュレッダーが大活躍だ。
僕の個人情報が載っている書類を処分、ひたすら処分。
仕事の書類、仕事に付随する冊子やコピーも処分する。

これでしか読めないという書類も処分。
書籍化されていない小説(作家の未発表作品)も処分。
ああ、惜しいことしてるなあと感じた。
そうだ、僕は編集者だったんだ。
もう過去のものになったけれどね。

また、
自分が輝くだろうなっていう思いを胸に自らの未来を描ける日は来るのか。

流れをぐいっと引き寄せるのは自分の力でやれよって話。

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