『日本発狂』手塚 治虫
小学生の時にベレー帽に眼鏡のおじさんが死んだ。
言うまでもなくこれは手塚治虫なのだけど、
小学生の僕には大した出来事ではなかった、と思う。
それに今の僕にも大きな出来事と思えない。
マンガ界や出版社、
手塚ファンにとっては大きな痛手だったのかもしれない。
いやそれだけでなく手塚ファンと言わなくても
一度は彼のマンガを読んだ人間は多いわけで
日本国民みんなが共有した喪失感なのかもしれない。

小学生の時に一番覚えている人間の死とは昭和天皇の崩御。
一番でなく、それしか死を味わっていないだろう。
いや、死を味わっている人を味わっていないと言う方が近いか。

手塚治虫のマンガは大学生になるまで読まなかった。
アニメを最初から最後まで観たこともない。
実際彼の存在を感じたこともない。
社会的影響が多大であることは否めないし、
そういう出来事があったことは知識として知っているのだけれど
実際のところ肌で感じたという同時代の感覚がない。
僕たちの世代は遅れてきた世代なのかもしれない。
思春期を迎える頃には全集や豪華版が本棚に並んでいた。
僕自身は手塚治虫を死んだ人間としてしか意識したことがない。
彼の作品――どの作品であれ、死ということを考えずにはいられないのだ。

本書「日本発狂」で手塚は直接死を扱ってみせた。
「この世」と「あの世」を主人公が往還する様がユニークで面白い。
主人公イッチもヒーローっぽくなくて、幽霊のヒロインくるみとの関係が面白い。
イッチは人間なのではなから幽霊くるみと結ばれえないことは分かりきっている。
ただイッチが死ねばいいんじゃないかと誰でも推測できるように実際イッチは死ぬ。
そこでハッピーエンドにはならない。
「あの世」には「あの世」の苦があるのだ。
ここから性急に数度ストーリーがひっくり返るのはやや破綻しているが、
それはそれで面白いと思えるのが不思議だ。
そもそもどこでどのように恋したのかが疑問だが、
かりそめの幽霊同士の恋はその通り実体のないキス程度はしても、
それ以上の進展はない。
それは肉体がないからというわけでもなく、
ストーリーに押し流されるようにして進展しない。
性急なラストが生まれ変わりという安直さだが解説にもあるようにこの安っぽさがいい。
安っぽさというか俗っぽさだろうか。
僕はこういう俗っぽさが好きだ。
完成度で考えると、もう少し長い方がすっきり収まっただろう。

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