彼女と軽い芸術論をしました。
ま、そんな立派で偉そうなお話じゃないんだけど、
みなさんは小説なり映画なりを観賞する際感情移入するべきだと思いますか?
するべきっていうのはしなければいけないに近い意味でとってください。
彼女は感情移入し、僕は感情移入しない
っていう簡単なお話でもないんだけどね。
彼女はすべきだって態度、俺はしなくても良いって態度だったのさ。
しなくても良いってのは感情移入すべきではないって意味じゃないからね。

でも感情移入こそが作品価値につながるのかなぁ?
好きこそものの上手なれって言葉にもあるように
「好き」だとか「楽しい」だとかいう感情が
問答無用に気分を高揚させ感性を高めることはたくさんある。
でもそれが全てかねぇ?
感情移入と芸術的価値はまた別のところにあると思うんだけど。
一致したら良いとは思う。
でも全てが一致することがそうそうあるかな?
例を挙げましょう。

例えば女性向けに作られた映画を理解できるのは女性だけで男性は楽しめない。
どう?
男性の方、男性として疎外感はない?
冷徹な論理ですよね。
違うからこそ分かりたいのに。

例えば感情移入ばかりで物事を理解しなくちゃならないのなら
自分の感情の波長と同じくすることができないものを
許容することができないとは思いませんか?

この世界、違う民族や価値観があるんだよね。
彼女の論理だと感情移入できないものには興味を抱かないわけで
それは切り捨ての論理でしょう。
感情移入できないからどうでもいい、じゃ済まないことってたくさんある。
感情移入って思うままだから理解できないことで
自分に非があっても気付かないんじゃない?
感情移入論で物事を両断するのは大変分かりやすい。
でも逆に見落とすことはたくさんあると思う。
自己完結的だよ。

彼女に言わせてみれば客観的なことは
評論家とか他人がやればいいことであって私たちがやることじゃないみたい。
無駄なエネルギーみたいなかんじだね。
というより僕の感情移入しなくても良いっていう意見が
主観の反対で客観だ!と簡単に纏め上げられるのもどうかと思うけれど。
感情移入しないことが
直ちに独自性のない冷めた視線になるわけでもないでしょう。
感情移入ってできるものとできないものがあるし、
できないなりにも楽しいものはありますよ。
それにマンガ・文学・映画をかるーく素人批評をしてはいますが、
「好き」「楽しい」だけじゃ分かりえないものって
すごくあると思っているんですよね。
「好き」「楽しい」を否定しているわけじゃありません。
感情移入しかないってことが嫌なんです。
僕だって感情移入することは多々あって「好き」だと言うことはよくあります。

まぁ、書きたいことは山ほどあるけど、
上記の文章も舌足らずだし、これ以上書くとくどいし、やめときます。
僕は頭の良い女性が好き。
でもそれは知識とかじゃなくて考え方の型なんだよね。
だから中高生やフリーターでも頭良いなって人がいるし、
高学歴の人間や社会的評価が高いステータスを持っている人間でも
頭悪いなって感じる人がたくさんいる。
立派な知識や職業はいらないけど
やっぱり人間として引き出しが多かったり視野が広かったり懐が深かったり
可能性を感じるきれいな女性が一番好き。

結局くどいですね…。
こんなんで読んでくれる方がいるのやら。
ちなみに僕、この日彼女といてすごく楽しくなかったです。

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