原付で山陽を巡る旅・2日目
2004年11月4日 観光や旅
蒲団から出るのが辛かった。
明らかに睡眠が足りていなかった。
でもゆっくりしている時間がないから気合いで蒲団から出てそれを畳んだ。
岡山観光といえば後楽園と岡山城は外せない。
まずは後楽園。
ここはなんと朝8時から開園している。
個人的には金沢の兼六園よりも好きだ。
ゆっくりと一周した。
加藤憲吉や郭沫若の詩は特に気に入った。
郭沫若の詩をノートに読み下ししていると、かなり好奇の目で見られた。
きび団子売りのおばちゃんは親切にきび団子をたくさんくれた。
串に3本指して
「はいダンゴ三兄弟じゃ」
ちょっとネタの古さが苦しかった。
後楽園は中年・壮年・老年が多いというのに俺一人が若いからちやほやされた。
原付で京都から来てるというのも相俟って
「原付の兄ちゃん」と何度も呼ばれた。
他のおばちゃんからも話しかけられたり、写真を撮らされたり…。
俺、おばちゃんにはもてる。
岡山城は宇喜多氏のイメージが強かった。
そして黒い天守閣。
日本史は疎いから宇喜多→小早川に続いて池田氏が出てくると
「はぁ、そうなんですか?」くらいにしか思わない。
宇喜多秀家は島流し先の八丈島で生涯を終えて
子孫も明治時代まで島内から出られなかったという。
猛き者もなんとやら。
世の中無常だし、厳しいもんだ。
八丈島に行ってみたくなった。
岡山を出て倉敷。
そこから南下して瀬戸内海の海岸線を走った。
瀬戸の島々とそこに降り注ぐ陽光。
これこそが山陽ツーリングだよなって思う。
楽しみにしていた笠岡市のカブトガニ博物館は休館日で非常に残念だった。
小学生の時からいつか見たいと思っていたのに。
国道2号線に合流しびゅんびゅん走る車の邪魔をしないように
左端の路側帯をゆっくり走っていると広島県の標識が現れた。
中国地方のことを知らない人は岡山市と広島市の距離を知らない。
岡山市民にとって広島市は大阪市に行くのとほぼ同列の気分。
広島市民は自分の街がそこそこに大きくて
岡山市に行く必要がないから考えることもない。
俺はよく京都→広島の移動をするから分かるけど
道路ならば中間地点は岡山市あたりだ。
岡山市と広島市は遠い。
福山市。
ここは広島県第2の都市で広島県東部の要だ。
備後護国神社を参拝。
阿部正弘を祀っていた阿部神社と護国神社を合祀したものらしい。
阿部正弘って老中ん中でも一番偉い役職だったよね。
福山なんかにいたのかーと親近感が湧いた。
(日本史無茶苦茶疎いんで名前を知っていただけでも褒めてくれ)
福山城にも登ってみたが午前中の岡山城が良かったからしょぼく感じた。
福山市内を南下し鞆の浦へ。
広島県出身ながら実は最近までここを知らなかった。
こんないいところが広島県にあったんだな。
朝鮮通信使が必ず立ち寄り日本一の云々と言ったのも肯けた。
入ってみたい路地やお寺が多かったが時間の都合上一つだけにした。
そこは福禅寺・対潮楼。
観光客がたくさんで住職は無愛想でちょっと興がなかった。
でも寺から見える風景はすごく良かった。
今日は尾道観光をパスして瀬戸田町のユースを予約。
尾道大橋を渡り→向島→因島→生口島と渡った。
因島で日が暮れてずいぶん寒くなった。
島はしまなみ海道で渡っているわけだが
原付専用道の料金所は無人で地元民は料金を払わない人間が多かった。
こいつらも悪人だが、両替機を置かない道路公団も悪い。
財布に100円玉しかないのに料金50円のときは困った。
泣く泣く100円払った。
紙幣しかなかったらどうしろというんだ?
他にも電柱の裏に案内板を設置する意味不明さにも納得できなかった。
日本の道路は全て4輪中心で
オートバイや原付、自転車による旅文化が浸透してないってことだ。
ユースでは同室のティーンエイジャーと話し込んだ。
旧国鉄の社員でそういう話が多かった。
人間それぞれ違っていて面白い。
明らかに睡眠が足りていなかった。
でもゆっくりしている時間がないから気合いで蒲団から出てそれを畳んだ。
岡山観光といえば後楽園と岡山城は外せない。
まずは後楽園。
ここはなんと朝8時から開園している。
個人的には金沢の兼六園よりも好きだ。
ゆっくりと一周した。
加藤憲吉や郭沫若の詩は特に気に入った。
郭沫若の詩をノートに読み下ししていると、かなり好奇の目で見られた。
きび団子売りのおばちゃんは親切にきび団子をたくさんくれた。
串に3本指して
「はいダンゴ三兄弟じゃ」
ちょっとネタの古さが苦しかった。
後楽園は中年・壮年・老年が多いというのに俺一人が若いからちやほやされた。
原付で京都から来てるというのも相俟って
「原付の兄ちゃん」と何度も呼ばれた。
他のおばちゃんからも話しかけられたり、写真を撮らされたり…。
俺、おばちゃんにはもてる。
岡山城は宇喜多氏のイメージが強かった。
そして黒い天守閣。
日本史は疎いから宇喜多→小早川に続いて池田氏が出てくると
「はぁ、そうなんですか?」くらいにしか思わない。
宇喜多秀家は島流し先の八丈島で生涯を終えて
子孫も明治時代まで島内から出られなかったという。
猛き者もなんとやら。
世の中無常だし、厳しいもんだ。
八丈島に行ってみたくなった。
岡山を出て倉敷。
そこから南下して瀬戸内海の海岸線を走った。
瀬戸の島々とそこに降り注ぐ陽光。
これこそが山陽ツーリングだよなって思う。
楽しみにしていた笠岡市のカブトガニ博物館は休館日で非常に残念だった。
小学生の時からいつか見たいと思っていたのに。
国道2号線に合流しびゅんびゅん走る車の邪魔をしないように
左端の路側帯をゆっくり走っていると広島県の標識が現れた。
中国地方のことを知らない人は岡山市と広島市の距離を知らない。
岡山市民にとって広島市は大阪市に行くのとほぼ同列の気分。
広島市民は自分の街がそこそこに大きくて
岡山市に行く必要がないから考えることもない。
俺はよく京都→広島の移動をするから分かるけど
道路ならば中間地点は岡山市あたりだ。
岡山市と広島市は遠い。
福山市。
ここは広島県第2の都市で広島県東部の要だ。
備後護国神社を参拝。
阿部正弘を祀っていた阿部神社と護国神社を合祀したものらしい。
阿部正弘って老中ん中でも一番偉い役職だったよね。
福山なんかにいたのかーと親近感が湧いた。
(日本史無茶苦茶疎いんで名前を知っていただけでも褒めてくれ)
福山城にも登ってみたが午前中の岡山城が良かったからしょぼく感じた。
福山市内を南下し鞆の浦へ。
広島県出身ながら実は最近までここを知らなかった。
こんないいところが広島県にあったんだな。
朝鮮通信使が必ず立ち寄り日本一の云々と言ったのも肯けた。
入ってみたい路地やお寺が多かったが時間の都合上一つだけにした。
そこは福禅寺・対潮楼。
観光客がたくさんで住職は無愛想でちょっと興がなかった。
でも寺から見える風景はすごく良かった。
今日は尾道観光をパスして瀬戸田町のユースを予約。
尾道大橋を渡り→向島→因島→生口島と渡った。
因島で日が暮れてずいぶん寒くなった。
島はしまなみ海道で渡っているわけだが
原付専用道の料金所は無人で地元民は料金を払わない人間が多かった。
こいつらも悪人だが、両替機を置かない道路公団も悪い。
財布に100円玉しかないのに料金50円のときは困った。
泣く泣く100円払った。
紙幣しかなかったらどうしろというんだ?
他にも電柱の裏に案内板を設置する意味不明さにも納得できなかった。
日本の道路は全て4輪中心で
オートバイや原付、自転車による旅文化が浸透してないってことだ。
ユースでは同室のティーンエイジャーと話し込んだ。
旧国鉄の社員でそういう話が多かった。
人間それぞれ違っていて面白い。
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