ラーメン屋が100店斬り間近ならば
カフェはどれくらい行ったんだろう。

深夜のカフェでそう思った。

思い出の中で色々な女が通り過ぎた。

お茶をしながら文学部の存在意義や実学について会話。
僕は大学生でありながら頭の良い「専門バカ」と本当のバカ大学生が嫌いだ。
無礼を承知で書くけどそういう人間を友達と認めたくない。
ところで自分はと言うと、すごく変なタイプだと言われる。
上記の二者の間で揺れ動くというよりは圏外、欄外で方向性自体違うって感じ。
なにか実学に繋がる専門性も派手に遊ぶ能力も持ち合わせてなくてね。

文藝春秋1月号に野坂昭如夫人が寄稿している。
それを朝日新聞のマガジンウォッチのコーナーでも取り上げているんだけど
野坂さん、脳梗塞で倒れていたのね。

マガジンウォッチの亀和田さんが武田泰淳・百合子夫妻のことを書いていて
それがまた心を打った。
知らない人のために説明すると武田泰淳っていう物凄くえらーい作家さんが
昔いたのね。
戦後の巨人だし、現代文学を語るのに名前さえ知らないっていうのは
恥と言って差し障りないくらいの巨大な存在。
武田泰淳はペンを握れなくなってから口述筆記という形で作家生活を送ったの。
悠然とこの世を去ったすごい男さ、彼は。
百合子夫人にも「富士日記」とか中公文庫に入っているんだけど。

教養のない大学生に囲まれた現在を厭って
2,30年前の大学生生活を送ってみたかった、なんてことは言わないけど
巨大な作家の本をリアルタイムで手に取る大学生活は羨ましい。
武田泰淳とかに関して言っているんだけど。
多くの人間が賛同し多くの人間が反対するだろうけど
現代は村上春樹と古井由吉しかすごい作家がいない、
との評価が落ち着いている。
ところで古井由吉『仮往生伝試文』は長らく絶版だったが
福田和也(『作家の値打ち』のおかげ)の
ミーハー・ファンのおかげで復刊した。
ミーハーな人種というか大衆の力って凄いね。
烏合の衆とか言ってバカにするのは簡単だけど
やっぱり世間様ほど偉いものはないや。
ほとんどの人間が古井由吉の本を読んだことがないだけでなく
名前すら知らなかっただろうに。
こういう言葉で表現したくはないんだけど適当な言葉がないから書く。
マーケット的価値と文学的価値の一致しない作家は大変だ。
その癖分かりやすいものは「文学だ」「学問だ」と保護されるし
高橋源一郎を朝日新聞やNHKが保護したり
文学でなくブームの「心理学」だけど
河合隼雄を岩波が保護するのはどうかと思う。
いや別に彼らのことを嫌っているとかじゃなくて(特に高橋源一郎は難しい)
保護すべき人と保護しなくてもいい人っていうのがあると思う。
河合隼雄なんて絶対誰か著作を買うファンがいるし。
ところでね、
「心理学を勉強することで他の人間が何を考えているか分かろう」
このように意気軒昂に大学入学する高校生がいるけど
それは学問じゃないからそういうのは占い本ででもお勉強した方がいい。
きっかけとしては「バカ」って非難する気はないし健気だと思うけど
ブームになると笑えるほど色々な人が出てくるもんです。
河合隼雄はどちらかというとユーモラスなおっちゃんとして好きだけど
「心理学」で世の中全てを理解するのは無理ですよ。

ところで野坂昭如って本当に評価されてしかるべきだと思う。
絶版だらけだ。
僕は「てろてろ」が読みたくて愛蔵版のようなものを
買ってしまったくらいだし。
あと10年経つと野坂昭如の著作の一般向けは
『火垂るの墓』や童話関係しか刊行されなくなるだろう。
亀和田さんが書いているけど野坂さんは歌も唄っていた。
当時の姿を見たいもんだ。
ミーハーな人々に訴求力を持つ誰か、
野坂昭如の良さを説いてくれないものか。
復刊!なんてことがあると非常に嬉しいなぁ。
ないだろうけど。

あ、それから教養について言及すると

「それは文学部だから無駄なことをいっぱい知っているだけで、パンキョーとか色々やるんでしょ?専門性を感じないし日本語さえしゃべれたら誰でもできそうな気がするんだよね」

という内容をたまに言われるんだけど
僕は文学部なだけで史学科だし
文学なんて大学でこれっぽちも習っていないんだけど。
っていうか大学生にもなって
学校からモノを習おうというバカな視点・姿勢が一番バカな証拠だと思う。
学問は学校で習うんじゃなくて自分でやるもんです!
大学とはインプットじゃなくアウトプットの比重が高いところなの。
上記の言い訳は
「頭が良いとは決して言えないけど少なくとも自分はバカではない」
と自任している自称「真ん中ぐらい」の人間が一番言うと思う。

僕は一般教養について語っても教養がないと言っているんだけど
法について語られても
「それはあなたが法学部だから」
社会やジャーナリズムについて語られても
「それはあなたが社会学部だから」
こういう受け答えは決してしないよ。
上記の言い訳には
「だから自分が知らないのは責められるべきじゃないし教養がないという批判は通じない」
という開き直りが付随しているのは指摘するまでもないね。
つまり僕にとって教養とは
態度の問題で受け皿(意欲)があるかどうかだと考えているわけ。

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